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後妻業の女

MOVIE 2018.3.26

後妻業の女

日本映画(2016)
監督:鶴橋康夫
出演:大竹しのぶ、豊川悦司、尾野 真千子、笑福亭 鶴瓶

その結婚は、100%ピュアな金銭欲のかたち

なんだかんだいって「結婚」という言葉には夢があって、結婚願望が強い人はもちろん、そうでない人にとっても、やっぱりそれは愛し合う男女のひとつのあり方、家庭というあたたかな場所、人生の苦楽をともにするパートナー、みたいなイメージが先行するものです。若いカップルだけじゃなく、残念ながら離婚してしまった中年夫婦だって、「この人とじゃなければ…」みたいに後悔するとしたら、それはやはり結婚とは本来幸せであるべき、という前提の上に生じる感情なわけだし、病めるときも健やかなるときも的な結婚式の誓いを、どうせただの決まり文句だからさ、みたいに内心鼻で笑いながら復唱するシニカルな新郎新婦がいたとしても、披露宴が終わった翌日に一緒にハワイに旅立つのはすこぶる楽しみで、ガイドブックに付箋とかつけてたりして、やっぱり一緒にいられるのって幸せだよね、と思い合っているに違いない。結婚って、なんだかんだでいいものだよ。失敗することもあるけど、いいときもあるよ。というのが「結婚」というものに抱く一般的な共通認識だと思います。一組の男女を白い明るい光が射しているような。

ところがこの映画で描かれるのは、「資産家の後妻となって、多額の金品を貢がせた挙げ句、遺産をまるまる独り占め」という、なんというか元も子もない、まったく別の「結婚」の実像。どす黒くよどんだ、光の当たらない場所としての結婚です。結婚相談所の所長(豊川悦司)と、後妻を生業とする女(大竹しのぶ)がコンビを組んで、婚活パーティーなどを主催し、妻に先立たれた老人たちを欺し、巧妙な手口で殺し、そして残された財産をせしめて山分け。その結婚は愛のかたちではなく、100%ピュアな欲望のかたち。というか裏ビジネス。でも、うわぁ恐ろしいなぁ、エグいなぁと思いながらも、「あからさまな欲望」というのは、これがまた不思議と見ていて爽快。人を欺して金を巻き上げる、って、なんでこんなに面白いんでしょう。

監督は伊丹十三、と書きたいくらい、この作品はタイトルバックからはじまり一貫して伊丹十三タッチで描かれているのも特徴です(本当の監督は鶴橋康夫。そして主演は宮本信子ではなく大竹しのぶ)。懐かしい日本映画が帰ってきた、そんなふうに思った観客はきっと多く、そもそもそれを狙っているのは明白。タイトルバックどころか「後妻業の女」というタイトルからして、「マルサの女」路線そのものです。

いやー、世の中カネですよ、欲ですよ、女ですよ、いくら年齢を重ねたって、たどり着く境地は結局そこですよ、という、加齢臭漂うべっとりとした潔さ、結局は人間なんて糞袋だよね的なダークトーンの諦念に彩られた人間らしさが存分に楽しめる快作だと思います。そしてその延長に、いやー、映画なんてそんな高尚なもんじゃなくてね、単純に見て楽しめりゃそれでいいんですよ、と誰かに言われているような気もする、と書くのは言い過ぎかもしれないけれど、こういう伊丹十三路線の日本映画が、これからもずっと伝統芸能のように受け継がれていったらいいなと思います。人間の欲望が尽きぬ限り、どの時代にもこのタッチにぴったりのテーマがあるはずだから。